赤いバラのお喋りブログ

日々の出来事、季節の移り変わりをちょこっと斜めにみながら、お得情報をお伝えしたいと思います。よろしくお願い致します。

ニッポン晴れだった、あの日の空

「おお、ニッポン晴れじゃ!」

数えきれないほど遠い昔のことに思えます。
けれど、その声は私の心の中にピタリと張り付いたように残り、ことある度に思い出され、ともすれば挫けそうになる気持ちを奮い立たせてくれました。

半世紀以上昔、1964年東京オリンピックの翌年の秋、10月17日の朝のことです。
数日続いていた晴天は崩れることなく、その日も朝から晴れ渡っていました。


結婚式を前に、私たち、祖父母と親戚のおばさんの4人は、実家から遠く離れている福岡市の閑静な旅館に宿泊していました。
ひとり娘(跡取り娘)の私を嫁がせることが何を意味するかを知りながら、真っ先に結婚を許してくれた祖父の気持ちを想うと、どこかにまだ迷いが残っていました。

 

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不安と申し訳ない気持ちで揺らいでいました。


そんな嫁ぐ日の朝、早々と紋付、袴に着替えた祖父が言いました。
「この期に及んで言うこともないが」細い眼の縁を赤くしているのが分かります。
「親がいないことや家を恥じることはない。胸を張って堂々と生きていけ、一度家を出て行くからには、よしんばどんなことがあろうとも戻ってくることはならん。じいちゃんは承知せんぞ」少し照れた様子で言い、背をかがめて腰に手をやり、軒下から空を見上げて晴れ晴れとした大きな声で言いました。
「おお、ニッポン晴れじゃ。ケイコンコン(私のこと)はニッポンイチの花嫁じゃ」

 

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あの日と同じようなニッポン晴れ☀

嫁いでいく孫娘に向かって、腹の底から声を出して叫ぶように言ってくれた、あの日のあの言葉!年老いていく祖父母に恩返しをしなければ、と心に誓ったものです。


◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

※私は生後10ヶ月の時に母を亡くし、若かった父のために祖父が私を引き取り育ててくれました。その後結婚を前に初めて父という人に会いました。父は大手の家電会社の営業部長さんであること、私の義弟2人の様子なども話してくれました。父親とその娘であるという実感がないまま時間が過ぎていきました。父とはそれ以来会うことはありませんでした。祖父母はそんな私を優しく、厳しく愛情いっぱい育ててくれました。


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あの日以来、10月17日は私どもの「結婚記念日」となったわけですが、夫と言う人になった今のオジサンは、無頓着で「記念日」嫌いなのか10月17日は何事もない日として通過していきました。私の方から今日は斯々然々な日ですが~にも聞く耳持たず。
それでも、10月17日を私は忘れることはなく、朝起きると同時に空を見上げます。青空が広がっていたら祖父が近くに来てくれているような温かい気持ちになります。
考えますと、大雨が降っていたような記憶がないのが不思議です。良くないことはすぐに忘れてしまう特技が役に立っているのかも知れません。
今朝の空には分厚い雲で覆われていました。ですが数時間後には青空が広がり、ホッと心を和ませてくれました。 

いろいろな想いをめぐらして過ごす10月17日。
博多駅に用がある、というオジサンに同行し今夜は外食しませんか?と持ち掛けて、博多駅、【JR博多シティくうてん】で食事をしてきました。

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JR博多シティダイニング 【くうてん】
空間コンセプト「光と緑の大回廊」新しい博多駅ビルの顔となる、
シティ日本最大級のレストランゾーン(9F~10F)


コロナ禍の緊急事態宣言解除後のせいでしょうか、人出も多く大きなボストンバッグやキャリーバッグを持った若者の姿が目立ちました。(旅心誘われます)

結局、結婚記念日の話は一度もなく、10月17日をスルーして10月18日を迎えました。
めえでたし、メデタシ!

これから先、何回でも多く10月17日を揃って迎えたいものです。

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お読みいただき有難うございます。
今週も、明るいお気持ちでお過ごしできますように!
気温がグンと下がりました。ご自愛下さいませm(__)m

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お風邪に気をつけてね! (=^・・^=)