10月15日は、娘(麻子)の誕生日でした!
娘(麻子)の誕生日に想うことあり
すでに時計の針は、0時をまわり10月16日になってしまいましたが、昨日、10月15日は娘の誕生日でした。名前を明らかにするのは?と思いましたが娘の名前は麻子です。
もしも、女の子が産まれたら、朝(Good morning)のような爽やかな女の子に育って欲しい、「アサコちゃ~ん」って大きな声で呼びやすいし、などと想像をしながらお腹の中の「アサコちゃん」に呼びかけていました。女の子と決まってはいませんでしたが、自分の中では女の子と決めていたのです。
息子とは6歳違いのアサコちゃんは、長崎市新地の近く籠町にあった産婦人科病院で生まれました。10月14日の早朝から陣痛が始まり、翌日の10月15日午前7時50分まで頑張ってようやく元気な泣き声を聞くことができました。長くてかなりきついお産でした。
いろいろ、人生いろいろ、思い出されます。
当時、オジサン(夫)が「長崎県立美術博物館」(長崎市立山町にありました)へ勤務していましたので、長崎市の南端?の小ヶ倉団地(長崎県職員住宅と言っていました)に住んでいました。4階建ての4階、東の端401号が私たちの住処でした。
ベランダに出ると、小ヶ倉港の向こう側に香焼造船所が見えて夜になるとそのまた向こうにある灯台の灯りが見える静かなところでした。
アサコちゃんの誕生
アサコちゃんを身籠ったのは29歳のときでした。息子は23歳の時でしたがつわりがひどくて大変でしたが、やはりアサコちゃんの時も同じで、つわりがひどく4階の階段がきつかったことを思い出します。病院通いはすぐ近くに、長崎バスの営業所がありましたからとても便利でした。(長崎バスの小ヶ倉営業所は今はないようです)
息子が幼稚園(大浦信愛幼稚園)年長さんの時でした。息子も同い年の子たちと一緒に長崎バスで通園していました。(信愛幼稚園は、「浪の平」で降車)
恐らく、バス停も変わっているのではとおもいます。
風景は似ています。
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長崎湾を左に眺めながらのバスは混雑もなく快適でした。何より身近に海がある、という珍しさと嬉しさでいっぱいでした。見知らぬ街での暮らしも新鮮でした。
長崎バス本社前(当時はそのように呼んでいたと思います)でバスを降りて、湊公園を通り籠町の産婦人科病院まで徒歩で10分も掛かりませんでした。帰りには湊公園のお砂場で息子を遊ばせていました。
5月に長崎市へ旅をしました時に、湊公園に行ってみました。すっかり様子が変わっていて驚きました。「長崎ランタンフェステイバル」の会場になっていることはニュース報道で知っていましたが、その変貌ぶりに時代の変遷を思い知らされました。
もちろん、息子が遊んでいた「お砂場」は跡形もなく~。見覚えのある店は残っていました。
実際に見たことはないのですが、訪れたいと思います。
長崎ランタンフェスティバルとは、
1986年に、牌楼長崎市新地中華街に牌楼が建設されたことを契機に、中華振興組合によって観光振興のイベントとして、春節と元宵節とを組み合わせた「灯篭祭り」を行う計画が持ち上がり、1987年から毎年開催されるようになりました。「灯篭祭り」は観光客の好評だったことから、1994年に長崎市発展戦略の一環として正式な観光の柱として位置づけられ、名称も「長崎ランタンフェスティバル」と改められた。
「長崎ランタンフェスティバル」は旧暦の1月1日~15日まで行われます)
※WIKIpediaより※
あれから、もう半世紀近くが過ぎているのですから街が変わっていくのは当然です。
けれど、心の中に焼き付いた思い出の画像はいつまでも変わらず、画像だけでなく映像として甦るものですね!
ところで、長崎市籠町の産婦人科病院で生まれたアサコちゃんは、それなりにすくすく育ち、福岡市内の高校卒業後、関西(西宮市にある)の大学を5年掛けて卒業しました。途中、阪神淡路大震災に見舞われ、一時人生をむなしく思うこともあったようですが、一時的に帰省したり同じ想いの友人との交流で立ち直ったようです。その後は、都内へ就職し兄(息子)の住む横浜に数年、その後は都内へ引っ越しをして23区内に住むようになって20年が過ぎるかと思います。
朝(Good morninng)のような女の子とは程遠く、もはや中年のアサコちゃんです。
そして、目下独身、おひとりさま、ひとりもの!
気ままになのかどうだか、仕事ひとすじなのかどうだか、母親にも分かりかねますが、元気が取り柄のアサコちゃんです。
ある時期まで、毎年誕生日プレゼントを送っていましたが、「今さら誕生日おめでとう」はないでしょ、母が好きな物買いなさいよ、とプレゼントを断ってきました。
ですが、そこは母ごころ、時期を外して何んだかんだと送っています。
娘はいつまでもアサコちゃんなのですが、当然のことながら私どもと同様に歳を重ねています。いつまで、独身、おひとりさまでいるのでしょう?恋愛について話すこともなく、尋ねてもそっけない返事が戻ってきます。自分が老いていくことを忘れて娘の将来を心配し、長生きをして見守ってやらねばと思うのです。おかしな話ですが~。
まだしばらくは役に立つ「おかあさん」でいて上げられと思います。
いい人生を過ごして欲しい、と心から願っています。
いつもお読みいただいて有難うございます。
今日も明るいお気持ちでお過ごし下さいヾ(*◕ω◕*)シ♪
やっぱり、花よりケーキかにゃ? (=^・・^=)