東京オリンピック 今・昔! 昭和から令和へ
古いお話、「1964東京オリンピック」
2020東京オリンピックが開催され、晴れの大舞台に立った選手たちのイキイキと活躍する様子をテレビ観戦しています。努力が実ってメダルを手に喜びに涙する選手たち、残念ながらそれに届かず悔し涙を流す選手たちを見ながら胸が熱くなりました。
何だかんだと開催直前まで問題が多かった2020東京オリンピックでしたが、「諸問題」はちょっと横に置いて、純粋に選手たちに拍手を送りたいと思いますガン( ゜д゜)バレ
2020東京オリンピック開会式入場
ところで、
なのですが~とっても古い、古い話で恐縮なのですが~!
前回の「1964東京オリンピック」が開催されて57年の歳月が通り過ぎていきました。
このブログをお読みの方のほとんどが、そんな昔のことは知らないヨ!とおっしゃるに違いありません。
ですが、私にはちょこっと思い出深い「1964東京オリンピック」だったのです。
(年齢バレバレですが、ハイッ!それほどの歳なのです)
1964東京オリンピックがあったのは、私が山一證券(1998年・平成10年3月31日に自主廃業)に高卒で入社して「OL」バリバリのころでした🌺🌺🌺
私の実家のある街にある支店勤務でした。
ちょうどその頃、池田勇人内閣が掲げた長期経済対策「所得倍増計画」、オリンピック景気ともいわれて、證券業界の景気はよく毎日のように残業が続いていました。ですが、何もかもが新鮮で元気溌剌、楽しく頑張っていましたヾ(*◕ω◕*)シ♪
1964東京オリンピック エンブレム
1964東京オリンピック開会式入場
そんな時代の「1964東京オリンピック」でした。
当時、昼食は山一證券某支店の食堂で社員全員が同じ食事をいただいていました。
その食堂に設置されていたテレビで、「1964東京オリンピック」を観戦していました。まだカラーテレビの時代ではなく白黒テレビでしたが、みんな興奮して一生懸命応援しました(*・∀・*)/^ガンバ
そんなときに、何故だか一人の男性社員が私の横に座り、その競技の説明をしたり、選手のことを詳しく話してくれるのです(余計なお世話でした)。私は殆ど興味のないことでしたので、素っ気なくハイハイと素直に頷いていました。何故だか私が食事に行くとその男性社員がいたり、後から来て私の横で食事をするのです。その時どのような競技があっていたのか記憶にありませんが、食堂での不思議な偶然とあまり歓迎しない競技の説明の雰囲気は今も覚えています。
1964年頃はこのような型のテレビだったように思います。
そして、いま!
オジサン(という名の夫)が、リビングで朝から晩までテレビ観戦ですm(>_<)m
そして、競技の説明や、選手の話~をしてくれるのです(余計なお世話なのです)。ですが、私は素っ気なく素直にハイハイと頷いています。まるで57年前のフィルムを巻き戻したような光景です。
◆◇◆
あの57年前、山一證券の食堂で何故だか私の横に座って、競技の説明をしていた男性社員は、今リビングで朝から晩までテレビ観戦をしているオジサンだったのです。
あの頃、オジサンは大学卒で入社、新入社員として配属されたのです。高卒の私の方が職場では先輩でした。オジサンはまだオジサンでなく、私もそれなりに若さに溢れていた二十歳のころの話です(。◕д◕。)
ですが、今は二人とも姿形が変わり、オジサンは耳が遠くなって大音量でのオリンピック観戦です。時々テレビの前で眠っているのか、試合の成り行きの質問があります。
「あの選手の名前は?」「あの国はどこにあるのか?」などの問いかけにややウンザリしながら、57年前の山一證券某支店食堂での「1964東京オリンピック」テレビ観戦を思い出していました。
◆◇◆
時代の変化と共に
オリン ピック開会式の入場のスタイルも大きく様変わりしました。
歳月の流れは電化製品の進化による生活様式を変え、人々の考え方にも大きな変化があったように思います。そして、私たちも、ホッソリとしていたあの頃から歳を重ねて、シッカリ背や腹に肉がつき貫禄ある姿に変貌しています。
祖母が晩年よく言っていた言葉、
「長生きしていて、世の中の変わっていくのを見るのが楽しみじゃった」
テレビの変遷
■テレビ放送開始
NHKがテレビ放送を開始したのが1953年(昭和28年)2月で8月には民放がこれに続きました。この年、国産初の14型、17型の白黒テレビが発売されましたが、サラリーマンの月給が3万円と言われた時代に、1台30万円前後では高嶺の花です。そこで人気を得たのが街頭テレビでした。
■カラーテレビの発売
1957年(昭和32年)、国産初のカラーテレビが販売されました。
しかし、NHKがカラーテレビの放送開始をしたのは3年後でした。白黒テレビの普及率はまだ29.1%に過ぎませんでした。
■カラーテレビの放送開始
1960年(昭和35年)に、NHKや民放4社がカラー放送を開始して、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」と呼ばれるようになったのです。
■カラーテレビの普及
1963年(昭和38年)、20万円を切る16型カラーテレビが発売されましたが、テレビの普及台数は白黒テレビが1600万台、カラーテレビはわずか5万台だったそうです。
1964年に開催された、1964東京オリンピックに合わせてのカラーテレビの発売だったのでしょうが一般庶民の手に入る価格ではなかったようです。
半世紀以上の時代の変化を辿ってみると、あの頃はよかった!と思えることも多々あるものです。
ウンと長生きをして、
今から先の世の中の変化を楽しみたいと思っています。
これから先、ウンと良い社会になってほしいにゃ♡♥♡