コロナ禍の隙間にもらった幸福の時間 ♥♡♥ その③
コロナ禍の中、制限が少し緩んだ隙間に ≪西海橋まで≫
佐世保バーガー BigManで激うまのハンバーガーで満腹になった私たちは、次の目的地の「西海橋」を目指して走りました(走っていただきました)。
再び野を超え山を越え、青い空に燃えるような緑の山々の景色に歓喜の声を上げながら、ひたすら南へ南へと走りました(走っていただきました)。
青い空と雲、緑に感動度1000% !!!
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昔、昔~長崎市に住んでいたことがあり、西海橋を訪れたことがありますがきっと様変わりをしているのでは?と当時の記憶を辿っていました。
幼かった子供たちと一緒に西海橋を訪れ、潮の流れの速さに驚いた事実は記憶にあるのですが、その時の風景は殆ど記憶にないのです。子供たちを媒体にしてだけの記憶なのでしょうか?
約1時間ほど走ったでしょうか?iPhoneはすでに5時を回っていました。
見えてきました!赤色があざやかな「西海橋」です!
春には見事な桜が咲くそうです。桜見物客のため(?)の駐車場に車をとめて、いよいよ西海橋の上に立ちました。
圧巻です!感動・かんどう・カンドウ・KANDOU!!!
赤い橋、西海橋の上に立ち、感涙に咽ぶふたり♥♡♥
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眼下の海にはいくつもの渦が巻いています。
日本三大急潮のひとつに数えられている針尾瀬戸の急流とうず潮です。
深い海の色、心地良い潮風に髪を乱しながら友人と写真を撮り合い、ニコニコ顔です。
※日本三大急潮とは、
鳴門急潮、関門急潮、来島急潮~来島急潮に代えて、針尾瀬戸を加える説もあります。
(コトバンク)
広大な大村湾の海水が干潮のときに、一度にこの狭い針尾瀬戸(幅わずか200m)を通過する様は壮観で、特に春と秋の大潮での潮流は見事で毎年「うず潮まつり」が催されるそうです。
また、春の「うず潮まつり」では西海橋付周辺に約1000本の桜が咲き誇り、うず潮と桜の両方を楽しめるそうです。
うずを巻きながら潮が流れています!
ちなみに、
西海橋とは~
西海橋は1955年に、長崎県佐世保市と西彼杵(にしそのぎ)半島をつなぐ橋として急流の針尾瀬戸(はりおせと)に架けられた、全長316m、海面からの高さ43mのアーチ式の橋です。建設当時は、この形式の橋としては世界第3位、東洋一の大きな橋でした。
「東洋一のアーチ式橋」は、国の直轄事業として総事業費約5億5千万円、柄完成に5年を費やしました。当時、「陸の孤島」と呼ばれていた西彼杵半島住民の悲願が実現されたのです。
後に、若戸大橋や本州四国連絡橋を手掛けた建設省(現国土交通省)の吉田巌氏らが設計。橋を架ける針尾(伊ノ浦)瀬戸の流れは最大9ノット(時速17km)以上にもなる航海の難所とされ、水深は約40m。海中に支柱は建てられなくて、両岸から伸ばしたケーブルを操り、アーチを組み上げる世界発の工法を採用しました。一つ一つの部材は職人らがリベットで接合しました。
西海橋は、2020年12月、「関門橋や本四国架橋につながる日本の長大橋の原点」と高く評価されて、「国の重要文化財(建造物)」に指定されました。
西海橋は、1955年に日本初の「有料道路橋」となり、長崎と佐世保を最短距離で結ぶルートになりました。
2006年、西海橋の北側に平行するように、新西海橋が完成しました。
新西海橋は、有料道路・西海パールラインの一部です。
西海橋の上から北の位置に見えます。素敵!!!
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海峡の潮の流れる音、少しひんやりとした空気に酔いしれていた私たちは、スッカリ我を忘れていました。これから長崎市に向かわなければならないことも!
ホテルにチェックインの時間変更の電話をして、今度は長崎に向かって出発です。
もう日暮れ時間のはずですが、ずいぶん日が長くなりました。
免許証を持たない私は車の運転を代わって上げることもできず、ひたすらサービスに勤しみました(キャンディ、ガム、飲み物と感謝の気持ち)
~次に続く、乞うご期待~
♥♡♥今日も明るい気持ちで、いやなニャことあったら
鏡の前でニッコリ、コレお勧めニャよ!♥♡♥